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ヨタばなし★スターメンバー バックナンバー:vol.37

東アフリカ、タンザニア。果てしない平原があり、そこに続く山林にぽっかりとあいた巨大な穴は動物たちの最後の楽園だという。
探検家になろう!子供の頃のさるおの夢のひとつ(たくさんあったのだ)である。子供時代といえば、塾に通い始める友達を尻目に真っ黒に日焼けして下町探検の日々。さるおあたりが東京ワイルドライフを知る最後の世代かもしれない。とはいえ東京生まれ東京育ちで、戦後の焼け野原を知るほどの高齢でもないので、結局のところさるおは空や大地を知らない。
今回のさるおの決めゼリフ(捨てゼリフか)は「自分が生まれたこの地球の姿を見ずに死ぬわけにはいかない」であった。死ぬときのことなんて考えているのか、暗いやつだ。「だから死ぬ前に見ないといけないもんや行かないといけないとこや食わないといけないもんが山ほどあって、モーレツに忙しいんだよね、おれさまは」
暗いわけではなかった。
去年はたしか「人が作ったものは朽ち果てるからこそ美しい」と本人はかっこいいつもりで叫んだあとでカンボジアへ行ってしまったさるお、2003年9月はアフリカ。長年夢見た憧れの大陸である。

東アフリカの夜明け

シマウマとバッファロー
タンザニアの日本語ガイドブックというのはほとんどない。しかたがないのでロンリープラネットと、スワヒリフレーズブックというスワヒリ英/英スワヒリのラフガイドだけを持って行く。

今回さるおがとったのは、ナマンガルート。南のヨハネスブルグと並ぶアフリカ最大の大都会、ケニアの首都ナイロビまで飛び、そこからはるばる陸路で国境の小さな町、ナマンガを目指す。島国にいるおかげで陸路で国境越えの経験が乏しいさるおにとってはこれも憧れ。文字通り、自分の足で国境を越え、タンザニアに入国するのである。
と、ここまではなんだかかっこいいように聞こえるが、本当のことを言ってしまえばお金がなかった。ヨーロッパの都市で1度飛行機を乗り換えれば、直接タンザニアに入れたのである。しかもキリマンジャロの麓に。しか〜し、夏休みを引きずる9月のヨーロッパ経由の航空運賃は倍以上。冬に行けば安いのだが、さるおが見たいと思っているのは大乾期の終わり、いちばん厳しく乾ききったサバンナである。しかたがないか。成田からとりあえず香港へ飛んで乗り継ぎ、香港からデュバイへ。それから早朝のフライトでナイロビに入ることになった。
石油成金の国アラブ首長国連邦の高級ビーチリゾート、デュバイの空港は、近代的を通り越しておかしな感じにサイケデリック。インテリアには天然木を使用しました、みたいな田舎まるだしのナイロビ国際空港とはかなり違う。冷房は効きすぎ、午前2時でも3時でもまばゆい明るさで免税店は大繁盛、深夜便・早朝便のフライトも絶えない。フライト待ちのお客は布切れにくるまり床でごろごろと熟睡している。ぱっと見、すごい数の死体。何もこんな寒いところで寝なくても、とがんばっていたが、ナイロビ行きの飛行機がなかなか飛ばず、なんとチェックインの段階ですでに3時間遅れ。
ポレポレ(スワヒリ語で“ゆっくり”)したケニア航空は遅れを取り戻すこともなく、2時間半遅れでナイロビに到着した。プライドオブアフリカ、アフリカの誇り高き航空会社である。

ところでさるおはデュバイの空港が気に入らない。構造上の欠陥が多すぎる。ぎんぎらぎんに作ったのは結構だが、乗り換え時間にヒマをつぶそうと免税店の階やレストランの階に下りたら最後、搭乗階には階段でしか上がれない。エレベーターなりエスカレーターなりを探したが、ない。観光客は荷物が重いのだよ、いいかげんにしてくれたまえ。「どこ通って上がってくればよかったの?」と聞いてみると「あーいいからここ通っちゃって」なんて感じで指さす先は手荷物検査のゲートである。テロのおかげで厳しくなって、どこぞの国のお客が靴まで脱がされている横をすまなそうに逆走しなければならない。チェックインカウンターもおかしい。カウンター前の広いスペースに紐が張られくねくね並ぶようにしてあるのはいいのだが、その手前の狭い通路で「並んで並んで〜、パスポート見るんだからぁ」とおっさんががんばっている。並ぶのはあんたの向こう側じゃねぇのぉ?おかげで通路は立ち止まった人だらけ。通路も紐もまったくの無駄である。

それからもうひとつ気づいたことがあった。ケニア航空に乗る乗客には並ぶという発想がない。まぁ遅れていたから焦っていたのかもしれないが、搭乗口で「まずは1番から10番までの席の人来てくださ〜い」と言われて、11番だったさるおはとりあえず椅子から立ち上がった。するとなんと、1番からおそらく40番ぐらいまでの客が、ということはほぼ全員なのだが、押せや押せやという感じすでに殺到しているではないのよ。係員はほとんど怒った学校の先生と化し、「並べっつってんだよー!」と怒鳴っているがお客の方は聞いちゃいない。なにしろ人より早く自分が乗りたいのである。乗客はニホンジンさるおを除き、みなさん超カラフルなお洒落着に編み込みヘアーのケニアの方々である。

ナイロビは、街を抜けるといきなりのマサイステップ。街の規模はけた外れだが、駅前だけ開発されてちょっと行くと田んぼ、という日本の地方都市によく似ている。空港を出て10分後、さっそくキリンに出会った。まばらな低木とマサイの家の間で、数知れない竜巻が空に向かって一直線に砂を巻き上げている。

ところで、東アフリカの交通といえばクルマである。タンザニアだと、電車はタンザン鉄道のみで、線路1本、行ける場所が限られているからだ。東アフリカ旅行はツアーが一般的なのでたいてい地元のサファリ会社が移動のことは何から何まで面倒をみてくれる。一方、さるおのように貧乏で命知らずの個人旅行者と地元の人のためにはバスが発達している。町と町を結ぶ長距離の乗合バス。都会ならタクシーも走っている。このあたり一帯は世界的に見て、治安の悪さでは群を抜いている。お世辞にも安全とは言えないし、時間もかなりいいかげんだが、とにかくどうにか行きたい所に行けるようにはなっている。
さるおは気ままなのでツアーには向かない。車内がニッポンになってしまってつまらないという理由でレンタカーもあまり好きではない。どっちみち東アフリカではレンタカーなんて整備されていないので、トラブルの元である。ということはみなさんと一緒にスーツケースをバスの屋根に放り投げ、ぎゅうぎゅうと車内に押し込まれて移動する。さるおによれば、そっちのほうが現地の人と同じ目線で物事を見られるからいいのだという。さるおは語学が堪能というのでもないし、賢いというのでもないが、あまり怖がらずに行きたいところにずんずん行く。
ケニア国内というのは道がけっこう整備されている。舗装道路が使えるので快適な旅である。これがタンザニアに入ると一転して、舗装された道がぜんぜんないではないの。ものすごい穴のあいたでこぼこのダートが続く。乾期であるから必然的にすさまじい砂埃。自分たちだけならいいが、他のクルマとすれ違ったり、ポレポレしたクルマに後ろからせまってしまったときなんかとりあえず息はできない。唯一通った舗装道路は、通称ジャパンロード。鴻ノ池組が建設中の、日本からのプレゼントである。

ナマンガは、道沿いにみやげ物屋、床屋、喫茶店などが並ぶ普通の町である。国境越えといっても、出入国審査事務所に行って散乱している出入国カードの中から折れたり汚れたりしてなさそうなのを探し出し、自分のボールペンで(アフリカ全体が筆記用具不足である。準備してあるはずはない)名前とかいろいろを書いて、カウンターのおっさんにパスポートと一緒に渡せばおしまいである。ちなみにタンザニアビザは、日本で取ると45米ドル、現地(場所によってさまざまだが例えばナマンガの場合)でとると20米ドルとなる。今現在、陸路でケニアから入国できるのはナマンガのみで、他のゲートは封鎖されている。

東アフリカは貧しい。長距離の移動をする観光客目当てに、子供たちは村からわざわざ街道までやってきては待ちかまえていて、にこにこと愛くるしい笑顔で「ボールペン持ってたらちょうだい」というジェスチャーをする。日本製が人気がある。さるおが持っているのは自分用の、日本のどっかのホテルから盗んできたドイツ製ボールペン1本。あげるものがないので無情に通り過ぎる。黒人の子は目がぱっちりと大きくてかわいい。頭に桶なんかを器用に乗せているのは女の子が多い。洋服はカラフルで、なんとなく日本の夏祭りのようである。ついつい観察していると、彼らの目の良さに気がついた。クルマがずいぶんと遠ざかり、この辺まで来れば薄暗い車内の人がどこを見ているかわからないだろうと思って眺めると、にっこり笑って手を振り、またもや「ボールペン持ってたらちょうだい」である。もっともっと離れてから動物観察用の双眼鏡で人間の子供を観察するしかないか。なんだかそれも失礼だよなぁ。ついによく観察できなかった。
東アフリカの人の特徴をもうひとつあげておこうと思う。彼らの日々の姿勢みたいなものだが、「明日できることは明日やる」なのである。ということは何事もかなりのんびり。これはもうさるおとしてはたまらない居心地の良さ。さっそく取り入れよう。後々こののんびりのおかげで、さるおは宿屋の風呂とトイレを自分で直すはめになる。日本人の感覚では、お金を払って宿泊するんだから風呂もトイレも壊れていないのがあたりまえ、なかなか直しに来ないといらいらする。それは正しい。しかし、のんびりはひとつの文化である。考え方を変えろと言ってすぐに変えられるものではない。さるおはお邪魔している旅行者の身である。郷に入っては郷に従え。さるおが直せばいいじゃな〜い。日本社会では「今日できることは今日のうちにやる」が基本だが、たいていのことは今日できる、というか、いつでもできるので、それを全部今日やろうと思うと遊んでいるヒマがない。そんなにがんばってどうする。明日やることがなくなっちゃうじゃないか。

さて、タンザニアに入り(黄熱病予防接種のイエローカードを結局誰も見てくれていないことに気づいて寂しい)キリマンジャロにほど近いアルーシャでの昼ごはんを早々に切り上げて、2時間半の遅れを取り戻すべく先を急ぐ。めざすはバオバブと象の国、タランギレ国立公園。バオバブというのは、サン・テグジュペリの『星の王子さま』の中に登場する、悪魔が抜いて逆さに植えた星を食べる悪い木である。が、実際は、不思議なかたちの美しい巨木である。

ここのゾウは密猟者から保護する目的で連れて来られた、いわば難民。冷静に考えれば、それを見にサファリカーで公園内をうろうろするのもどうかと思う。が、とにもかくにもバオバブのシルエットの向こうに沈む夕陽があまりにも美しいので、冷静に考えるのはやめる。なんつっても、ついに探検のはじまりなのである。サファリとは『探検旅行』のこと。子供時代の夢がかなったではないか。

タランギレのゲートでは公園の地図を買った。売り上げは公園の維持費になる。「お邪魔してご迷惑をかけるばかりじゃ申し訳ない。これなら少しは役に立った気がするではないか。んでもタランギレはたくさんある公園の中ではかなり人気のないところ。客も少ないだろうねぇ」などと余計なことを考えて2枚も買ってしまった。
ところがこのタランギレ、なかなか素晴らしいのである。テント生活だし、シャワーは吹きっさらしで(ワイルドライフにゴムぞうりは必須である)ちょっと寒いし、ぬるいお湯は出るけど量と時間が限られているし、電気は夜11時から朝6時までカットされるし(ワイルドライフに懐中電灯は必須である)、刺されると眠り病になるツェツェバエは追い払わないといけないし(ツェツェバエ用ではないが、ワイルドライフに蚊取り線香は必須である)…、都会に甘えてばかりいると不便に感じる。しか〜し、こつんこつんという音で目覚めテントのファスナーを開けて顔を出せば、目の前のフレッシュなゾウのうんちのむこうでオスのウォーターバック(ウシの仲間)同士が砂煙を上げて闘っているじゃんか。角のぶつかる音で東アフリカ最初の朝をむかえたさるおはごきげんである。昼はうっとりするような絶景で、暑さの中、アフリカゾウ、グラントガゼル(小型のウシの仲間)、マサイキリン、ヌー(ウシの仲間)、エランド(ウシの仲間)、ウォーターバック、グラントシマウマたちが、目の前のタランギレリバーにみるみる集まってくるじゃんよ。バオバブと低木と赤茶けた大地と空と雲といろんな動物がみんなでひとつの風景になっている。出かければ、ココナツパームにサバンナモンキー3兄弟が駆け登り、爆走するサファリカーのすぐ前を駿足でインパラが横切る。今日もまた美しすぎる夕陽とバオバブを背景にゾウとキリンが食べ歩いている。夜になるとさるおのテントは無数の星につつまれた。

アフリカの夕陽


アカシアの刺もおかまいなしで食べるマサイキリン

アフリカゾウの親子


インパラの筋肉美


群れを守るために闘うヌー


一列に並んで移動するヌーの群れ


湖面に咲くフラミンゴの花
ゾウのうんちについて補足すると、朝でも昼でもロッジサファリ(通称“いながらサファリ”)に夢中になっていると、すぐ後ろをゾウが歩いていたりする。後になっておっかねーかも、と思ったがこのころはまだ冷静さを捨てて純粋に感動していたうぶなさるおである。「ハバリガニ(調子はどうよ)?」なんて話しかけてはよろこんでいたものだ。

(ウシの仲間)(ウシの仲間)と書いているが嘘ではない。角のある(メスは角を持たない種類もいる)シカのような動物はすべてウシである。アフリカ大陸にシカはいない。これらウシたちの跳躍力は驚異的である。自分の体の大きさの10倍くらいの距離を飛び越えてしまう。例えば頭からお尻までが1mに満たないくらいのウシが、4〜5mくらいなら助走なしでジャンプする。草食動物はほれぼれするような美しい身体をしているが、このずばぬけた跳躍力、納得の筋肉美なのだ。たるみきったさるおとは似ても似つかない。

それからツェツェバエについて書いておくと、虫博士ではないのでよく知らないが、これはおそらくハエというよりハチに近いんじゃないかと思う。小さいハチのような形で、眠り病を媒介する。刺された時の痛みもそれなりで、小さいなりに痛かった。1つや2つや3つや4つ刺されてもなんともないが、たくさん刺されると居眠りぶっこいて死に至る。

さて、翌日はまたものすごいダートを猛スピードで移動である。
ンゴロンゴロはでかい自然保護区で、クレーターハイランズと呼ばれる山林がある。かつての火山が広範囲にわたってカルデラを形成した場所である。
ンゴロンゴロはマサイの言葉で「大きな穴」、つまりクレーターのことである。クレーター群の中で最大の噴火口、ンゴロンゴロクレーターは、南北に16km東西に19km、縁から底までの高低差は600m、完全なカルデラとしては世界最大、クレーターのサイズでは世界第2位、世界遺産である。しかしこれが保護区全体のほんの3%。広さが想像できるだろうか。標高はクレーターの縁で2300m。はっきりいって寒い。夜はゆたんぽ(日本でおなじみのゴム製水枕にお湯を入れただけのホットウォーターバッグだが、なぜかホットウォーターボトルと呼ぶ。朝まで温かい)を貸してもらった。
見下ろすと、高地のせいかクレーター内の湖から蒸発する水蒸気のせいか、円形シアターの中はうっすらと霧に包まれていて幻想的である。ゆっくりと気温が上がってくるのを感じながら木々を抜け緩やかな坂を下りると、巨大なお椀の底には暖かい草原が広がっていた。このお椀の中にあるのは草原だけではない。湖、湿地帯、サバンナ、森林、あらゆる自然がつまっている。
このお椀はほとんど奇跡。美しすぎて説明できないじゃないの。そしてこのお椀の中だけは、他の公園と違って、人の手が加わっていないのだ。つまり、ロッジもないし、レンジャーもいない。だからここだけは、本当の最後の楽園。クレーターで生まれた動物たちのほとんどはクレーターから出ることなく一生をおくるというので、ぜひともこちらから会いに行かなくてはならない。いや別に招待されてはいないのだが、そう思わせるのである。
この時期、クレーター内の湖は半分ほど干上がり、真っ白い塩の結晶が砂浜のように周囲を囲んでいる。木々の緑と空を映し蒼く輝く湖面にはフラミンゴがたたずみ、カンムリヅルが飛び立っては舞い降りる。地上の光景とは思えない美しさである。草原をヌーの群れが黒く染め、ハイエナが歩き回る。池にはゾウ、水辺にはシマウマ、木陰のチーターはガゼルを狙っている。現在14頭、ンゴロンゴロにのみ生息している激レア動物クロサイもゆったりとしてなんともかっこいいのであった。
ンゴロンゴロではもうひとつ大切なものを見た。1匹のブチハイエナが目の前の道端で空腹で倒れてやがて死んでいったのである。さるおはおなかがへって死ぬのだけは嫌なのだが、今は他人事である。「自然は厳しいのだよ」などと感慨深くハイエナの死に顔を見つめたのであった。


美しいチーターの立ち姿



果てしない平原
また砂煙を巻き上げダートを猛スピードで移動である。人類発祥の地オルドバイ渓谷は、1959年にルイス・リーキーという学者さんが人類最初の進化段階ホモ・ハビリス(器用なヒト)の化石を発見した場所で生物学的に貴重な遺跡である。が意外とあっさりやり過ごしずんずん進む。
さて、ンゴロンゴロ自然保護区とセレンゲティ国立公園の境目にやってきた。ここはさるおの心にいちばん深く残っている場所である。ここにはンゴロンゴロとセレンゲティという文字を表裏に書いたプレートが風に揺れているだけ、何があるわけでもない、というより、本当に何もなく、360度、見えるのは雲が躍る真っ青な空と黄金に輝いてどこまでも眩しい草原だけ。なんにもないから感じるのは風と日差しだけである。地平線までまっ平らの果てしない平原。起伏もないし、木も見えない。これほどまでに広く、遠くを見たのは初めてである。あたりまえだが人の姿はない。動物の姿も見えない。地球にいるのはおれさまひとりきりなんじゃなかろうか、そんな風に思えてくる。寂しいとか怖いというのではない。誇らしいという感覚に近い。
セレンゲティとはマサイの言葉で「果てしない平原」を意味する。名前に嘘はない。ンゴロンゴロよりさらに広大なこの大地もまた世界遺産である。
どこまでもどこまでもずんずん進めば、太古の昔地球の奥から噴き出して固まったコピエと呼ばれる岩石が現れる。コピエの上ではハイラックス(ネズミのでかいやつ)とレインボーアガマ(虹色のトカゲ)が行ったり来たり、鮮やかな青色のムクドリが舞い降りる。遠くに見える別のコピエはライオンの住処だという。

ここは肉食動物が多い。チーターの親子が蟻塚の上から2kmほど先のガゼルの群れを長いこと見ている。いちばん弱そうな1匹に狙いを定めているのだ。おかあちゃんがゆっくりと立ち上がる。さるおの双眼鏡を通してガゼルの群れが草を食んでいるのが見える。おかあちゃんはゆっくりと、本当にゆっくりと、しなやかな背を揺らして風下から近づく。けっして音は立てない。ひとり息子も立ち上がった。おかあちゃんとはぴたりと一定の間隔を保ち、静かに歩き出した。ガゼルはまだ気づかない。少し近づいては立ち止まり、また少し近づく。

グラデーションが奇麗なレインボーアガマ
さるおはダッシュの瞬間を待っている。長いこと持っていると双眼鏡が重い。いや、自分の腕だけでもだるい。はやくやっちゃってくれよ〜。ところがそうはいかない。チーターのダッシュは時速120kmを超える。が、持久力ならガゼルの勝ちである。タイミングが難しい。ガゼルが動いた。数十頭がいっせいに首をもたげ、チーターを見た。気づいたのだ。そしてあっという間にみんな同じ方向へ、数百メートル移動するとぴたりと止まった。さるおの我慢が限界に近づくころには、チーターがずいぶん遠くに行ってしまった。なんといっても2km先の獲物を狙っているのだからしょーがないか。こんな光景を何度も見たが、なかなかハンティングにまではつながらない。
チーターのハンティングは一撃必殺である。気道を噛み切って窒息させる。自分が仕留めた獲物しか食べず、誰かに横取りされそうになると闘わずに獲物を残してその場を去る。なんとも誇り高い感じでかっこいい。
寝ていないライオンのオスを見たのはこのときだけ
それに比べてライオンはみっともない。足は遅いし顔はでかいし、特にオスはいかにもどんくさいのである。猛ダッシュで時速50km、獲物はいちばん遅い動物でも時速70km以上で逃げるというから物理的に追いつけないわ、200mも走れば息があがるわで、狩りはまったくできない。天敵はダチョウ。うかうか近寄ってダチョウキックをお見舞いされると死んでしまう。おとうちゃんは日がな一日涼しいところで寝てばかりいて動かないのでしかたがないからおかあちゃんが狩りをするのだが、足の速さはおとうちゃんと同じ。どうするかといえば、チーターから横取りするのである。苦労して食事にありついたチーターから苦労して横取りした食事を誰が食べるか…わはは!おとうちゃんである。さすが百獣の王。疲れもしないのに休んでいればごはんが運ばれてくる。おとうちゃんが食べ残した分は子供たちが食べる。かわいそうなのはおかあちゃん。腹がへりっぱなしなのである。

愛嬌たっぷりのカバ

アカシアを食べるゾウ

木の上で昼寝するヒョウ

少し移動しカンムリヅルのダンスを見た後ヒッポプールにやってきた。カバは手足が短くてかわいい。大あくびの後は体中を泥だらけにするために寝返りをうつ。彼らは毎日、30cmくらいのせま〜い歩幅で巨体を揺らし片道30kmもの道のりを休まず歩く。昼は池で泥あび、夜は草むらに食事に出かけるのだ。10万歩か、忙しい。よけいな計算をしているさるおの方はよっぽどヒマである。
途中では色鮮やかなインコが並んで枝にとまり、まだちびっこのゾウがアカシアの巨木をなぎ倒し、別の木の上ではヒョウが眠っている。ヌーはンゴロンゴロにはうじゃうじゃいたが、ここのヌーはマラ川を渡って北に行ってしまって留守にしている。かわりに群れているのはバッファローだ。耳の大きなネコ、サーバルキャットや、どろんこだらけのイボイノシシにもお目にかかった。
チーターの食事に出くわした。蟻塚の上でガゼルを食べ始めたところだ。ハンティングして間もないという。くっそー見逃した。ときどき頭をもたげてライオンやハイエナを警戒しながら、内臓を残してきれいにたいらげている。骨が砕ける音まで聞こえてド迫力。5mも離れていないところでは食べ残しの内蔵をハゲワシが待っている。さらに食べ残しの骨を待っているのはハゲコウ。チーターが食事をすませて蟻塚を離れると、待ってましたとばかりに数十羽のハゲワシがガゼルに群がり羽をばたつかせながら内臓を引きちぎり…30秒後、そこには何も残っていなかった。なんだかあさましい。まるで自分を見ているようだ。
セレンゲティについてはもうひとつ語らなければならないことがある。何しろおっかない経験であった。木々の間にゾウの家族が集まっていたので「絵になるねぇ」とのんきに近づいて行ったら、ご家族そろって振り向いた。もう少し近づこう。写真を撮ろうか。次の瞬間であった。ふぅわりと耳を広げこちらを見ると、おかあちゃんを先頭に、なんと突進してきたのである。ゾウの群れは普通、年長のメスがボスである。なんでもおばあちゃんが決める。しかしあの走りっぷりからするとそれほどのばあさんでもないだろう。アフリカゾウたちは、象牙のための密猟の犠牲になってきた。人間は自分たちを殺すおそろしい敵である。世代を超えても彼らはそれを忘れていない。人間が近づいてきたら、闘って子供たちを守らなければならないのだ。思えばどこで見たゾウの親子も同じであった(タランギレでテントの裏にやってきたゾウは、ゾウの方から来たのだから別である。こちらが近づいていく場合は、対面の意味がまったく違ってくるのだ)。子連れのかあちゃんは耳を広げ子供を背にかばい、立ちはだかって絶対に動かない。さるおは一瞬意味がわからなかった。「テンボ、ハタリ!テンボ、ハタリ!」(ゾウ、あぶない)現地で雇ったガイドが焦っている。さるおが乗ったサファリカーは向きを変え、一目散に逃げ出した。突進してくるゾウ6頭と砂煙がサイドミラーに映っている。おっかねーおっかねー。こわいけれど、もしさるおがひとりだったら、数十メートル逃げたところで振り返ってしまうところだ。いやいや立ち止まってはいけない。こーゆーときは視界から消えるまで逃げ続けなければいけない。ゾウはサファリカーなんてふっ飛ばして踏んづけてしまうのだ。冗談ではすまない。すまないが、アフリカまで出かけていって、あんなにもマンガみたいに延々象に本気で追っかけられたことのある人はそうたくさんはいないだろー。本当に危なかったもんだ。

食事中も警戒を怠らない


肉だけを奇麗に食べる
余談ばかりで申し訳ないが、帰りにセレンゲティのゲートのおにいさんに氷砂糖を食べさせたらちょっとした騒ぎになった。乾燥してるんだから飴があったらいいなと思って、飽きないようにと氷砂糖を持って行ったのだ。ところがこの氷砂糖、セレンゲティの岩盤にそっくりなのである。隣に並べるとちょっと区別がつかない。何の気なしに「いっこ食べる?」と勧めたら「これはここの石。食べない、要らない、信じらんな〜い」と騒ぎ出した。それでも食べると笑顔になり、「友達と家族と遊ぶんだからもういっこちょうだい」と言うではないの。「袋ごとあげる、みんなで食べて」さるおの探検は終わりに近づいている。もう氷砂糖がなくても大丈夫だ。

9月といえば大乾期の終わり。10月の雨を待つ、1年で一番、からからに乾いた時期だが、今年はここアフリカも異常気象。毎日夕立が降る。広大なセレンゲティでは遠くから雨を降らせながら雨雲がやってくるのが見える。探検旅行の最後、ハンティングそのものは惜しいところで見られなかったけれど、かわりにサバンナにかかる虹を見た。しかも驚くべきことに、この虹なんと、トリプルであった!

悠久の大地を後にして、やってきた遠い遠い道のりをアルーシャへ戻る。サバンナの赤い牛飼いマサイの少年たちが牛を追って家から出てくるのが見える。これで探検は終わりかぁ。つまらん。

余談だが、ニャマチョマ(焼き肉)とウガリ(トウモロコシの粉を水で練ってふかした主食)を手づかみでむしゃむしゃ食うのは慣れると美味い。ウガリは2種類。プレーンより、ほんのり塩味で緑色の野菜ウガリが食べやすい。肉は高価な順に、トリ、ヤギ、ヒツジ、ウシ。日本とは反対らしい。チキン程度なら注文すると丸焼きが出てくる。カンボジアで湖の水を飲んでも体調に変化のなかったさるおは今回も丈夫で、下痢もせずマラリアにもかからず居眠りぶっこくこともなく、調子に乗って肉三昧であった。

さて、探検の旅はひとまず休憩である。
あいさつ程度の役に立たないスワヒリ語を駆使し、ものすご〜いダートをかっとばしてはるばる陸路で国境を越え、バオバブの林を縫って、巨大クレーターを旅し、果てしないサバンナにたたずみ、お湯の出ない宿屋の風呂を自分でなおし(なんでだよ)、水の流れない宿屋のトイレも自分でなおし(なんでだよ)、眠り病を運ぶあぶないチェチェ蝿を追い払いながら自分は象6頭に追いかけられ、チーターがガゼルの骨を砕く音を聴き、ハイエナの孤独な死を見守った。なんだか知らないが多くのことを見てしまったような気がする。が、結局何を思ったかといえば、そこにあるのは自然の平和と調和だった、ということに尽きる。何にもかえがたい2週間であった。
マサイ出身者や、ギリシャ人とアフリカンのハーフを含めた現地の数人と仲良くなり、酒とコーヒーをがぶかぶ飲んで歌を歌い、大騒ぎしているうちに過ぎて行ったなんでもない2週間でもあった。
どこを切り取っても迫力満点のタンザニア。思い出深いハクナマタタ(ノープロブレム)な2週間の旅。


ガゼルの大決闘
帰国してから数えてみれば撮った写真のフィルムは46ロール。ざっと1650枚の写真である。こりゃ現像すんのにいくらかかんだい?意気揚々とハンティングシーンを狙って“いいカメラ”まで買ってしまったのだから不可抗力といっていいだろう。結局連写したのはウシの決闘シーンであったがこれがまた途方もなく美しいので大満足。現像した写真を眺めてあらためて思った、食べてよし眺めてよし、いいねぇ、ウシは。

トゥタオナナ(また会いましょう)。さようならは言わないのだ。
また行こう、タンザニアに。動物たちと、出会った仲間に会いに。次回は雨期の、果てしない緑の絨毯を歩きに。
そういえば帰りのアラブでは時間をみつけてデザートサファリにも出かけた。こちらの砂漠も果てしなく、夕陽は感動的である。砂漠というのにもさるおはかなり憧れていて、近い将来サハラを越えてみたいと言う。そう、探検は終わりがないのである。

2003/10/16

日刊ヨタばなし★スターメンバー




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